ごきげんよう
See you alwaysみなさん、ごきげんよう 日本真珠会館の70年 記録と記憶
- 業 態
- 展覧会
- 所在地
- 兵庫県神戸市
- 開業時期
- 2023年03月25日~03月30日
- 受注形態
- 企画・設計・監理・施工
弊社が創業時から事務所を構えていた「日本真珠会館」(*1)が老朽化のため閉館となりました。1952年、神戸の旧居留地の片隅に建てられた近代建築は、現代建築とは異なる重厚で濃密な存在感がありました。このような空間で長い時間を過ごせたことはとても貴重な体験となりました。無論、切つなく、やるせなくもありましたが、最後に「日本真珠会館」に感謝の意を伝えたい人々が集まり、かけがえのない日々の記録と記憶を残していくために展覧会が催されることになりました。
展示の企画について
歴史的建造物について語られる時、よく「保存か解体か」が議論の的となります。わたしたちも同じような議論を幾度となく重ねてきました。様々な立場の人々が、自身の思想・哲学や感情的な想い、または冷静な判断に基づいた意見を持ち、保存の正当性や解体の必然性を説かれてきました。とらえどころのない議論がつづく最中、ふと思いました。「そもそもこの議論の当事者である日本真珠会館本人の気持が不在なのではないか」と。日本真珠会館は建築物であり無機物です。生命体ではありません。よって、意思は存在しないでしょう。しかし、もし「日本真珠会館が『わたし』という主体的な人格を持っていたとしたら、今の気持をどのように表現するだろうか?ぜひその言葉を聞いてみたい…」そのような想像から今回の企画が立ち上がりました。
展示場所
日本真珠会館1階の元「応接室」、現「ギャラリーしらたま」を使用。
展示製作物
今回、展示用に制作する展示物は、できるだけ既にあるモノを再利用すること。新しくつくるモノは、後日、資料として保存される価値があるモノをつくることを基本条件としました。なぜなら、すでに存在する資料や備品に、モノとして充分な存在感があること。同時に、新しくつくった展示物が展覧会終了後にゴミとならないようにするためです。実際、展示物の多くは、京都工芸繊維大学美術工芸資料館へ収蔵され、それ以外のモノは、展覧会終了後にオークションが行われ、様々な人の手に渡り再利用されています。
展示内容
最初に日本真珠会館本人による「自己紹介」からはじまり「誕生秘話」「建築家の人物像紹介」「70年間の出来事紹介」を経て、最後に閉鎖に際しての挨拶と今後について語る構成となっています。
コーナー①「はじめに」~建築資料展示(エスキス、設計図、施工写真、竣工写真、模型等)を展示
コーナー②「生みの親 光安義光」~建築家 光安義光のアトリエを再現(スケッチ、設計図、散文等)
コーナー③「わたくしのための特注品」~建築物と同時にデザインされた現存する什器・備品(椅子、デスク等)を展示
コーナー④「わたくしと一緒に過ごしたモノたち」~建築物内に残された往時の品々を展示
コーナー⑤「みなさんとの愛しき日々」~様々なカタチで建築物に携わった人たちの言葉を展示(その場でのコメントも可能)
コーナー⑥「わたくしは、いつでもここにいます」~建築内部空間のウォークスルー撮影のPC展示(常時誰でも操作可能)
同時開催イベント
3月25日(土) 登録有形文化財「日本真珠会館建築」建築ツアー/全4回、各回定員20名
3月25日(土) トークショー「神戸と真珠~歴史とこれから」/定員50名
3月26日(日) トークショー「モダン建築『日本真珠会館』を心に刻む」/定員50名
主催:「みなさん、ごきげんよう」実行委員会(日本真珠輸出組合内)
共催:神戸パールミュージアム、パールシティー神戸協議会、NPOひと粒の真珠、公益財団法人神戸ファッション協会
後援:神戸市
企画・運営:日本真珠輸出組合 伊地知由美子、アトリエMYST 光安義博、窪添正昭建築設計事務所 窪添正昭、株式会社fine 日下れいか、空間設計cello 瀬崎昌和
グラフィックデザイン:株式会社fine 日下れいか
展覧会・イベントを終えて(後記)
「みなさん、ごきげんよう 日本真珠会館の70年 記録と記憶」は各日とも盛況で合計2000人超の方々にご参加いただきました。みなさん、実際の空間を体験し、展示物をご覧になりながらそれぞれの想いや感慨を抱かれた様子を窺うことができました。
参加者のみなさんの声
参加者の方々から様々なご意見、ご感想をいただきました。「いつも外から見て気になっていました。一度、中に入ってみたいと思っていたので念願が叶いました。」「子供の頃からたまに見かけていて前を通る度に、まだ建っているんだ…と思いながら、どことなく気にかけていました。」「こんな素敵な空間が失われるなんて寂しいですね。」「どんどん昔のモノが無くなっていきますね。」「静謐という言葉は、まさにこの空間に相応しい言葉ですね。」「どうにか保存に向けた活動ができないもでしょうか。」「現代のビルには無い余白を感じる空間にホッとします。」「こんな重厚な建築物が無くなるなんてもったいない。まだまだ使えるんじゃないですか?」「いつもクリスマスのイベントの時に来ていて、年末の恒例行事になっていたので寂しくなります」など、もし日本真珠会館に聞く耳があり、感じる心があったとしたら、さぞ喜ぶであろうたくさんの言葉をいただきました。
特に印象に残った声
個人的に特に心に響いた声は「一度失ってしまったら二度と同じモノは再現できないのにね。」という言葉です。ほんとうにその通りだと思います。単なる郷愁の念から出た言葉ではなく、優れた価値あるモノが失われていくことに対する現状への憂いを的確に表した言葉ではないでしょうか。
日本真珠会館の閉館が決定されるまで、この建物を残したい!残すべきだ!という信念を持つ方々が集まり力を合わせ、どうにか保存する方法はないか、十数年前から様々な試みが行われ、紆余曲折を経ながらここまできましたが、結果的に「閉館」を受け入れざるを得ず「保存に向けてできる範囲のことはすべてやりきった」と、ある意味清々しい気分になっていました。だからこそ、日本真珠会館へ感謝の気持を表し、最後の花道をつくってあげたいと本展覧会・イベントを企画し開催した訳です。しかし「保存」を挫折せざるをえなかった無力さ、後悔、そして建築物に対する懺悔の気持は、心の奥底に澱のように溜まったままなのだと、決して「清々しい気分」とは言い切れないのだと改めて気づかされました。
イベント後の日本真珠会館(2023年12月末時点)
イベント終了後、日本真珠会館の土地と建物の権利者は、保存、建替を含め様々な議論を経て、現建築物の解体撤去〜新築を選択しました。以後、新たな日本真珠会館の再建に向けて計画が進行しているようです。2023年12月末現在、建物の外周に足場と仮囲いが組まれ解体が進んでいます。
日本真珠会館にテナントとして事務所を構えていた時から、各方面より見聞きする情報を鑑み、おそらく解体されることになるだろうと察していました。よって、それなりの心構えをしてきたつもりです。現在は「消えゆく日本真珠会館の姿を目に焼き付けておこう」という思いで、定期的に現場に足を運んでいます。
展覧会・イベント開催の意義
古いモノであれば「なにがなんでも残すべきだ」とは考えていません。新しいモノにワクワクすることもあります。街も建築物も生き物と同じように変化し代謝しつづけるものだと思います。問題は、その変化を促す要因、そして変化する速度と範囲=スケールだと考えます。では、古いモノを残すべきか?壊して新しいモノをつくるべきか?古いモノと新しいモノを共存、または融合すべきか?多種多様な手法が考えられる現状において、どのように判断するべきでしょうか?簡単に答えは出せそうにはありませんが、「保存」という大義をかかげただけでは、零れ落ちてしまう記録や記憶が多々出てきてしまうことが予測できるため、個々の案件状況に合わせた細やかな提案、提言が大切なのだと考えます。(案件状況のディテールを視る眼力、哲学、意志、そして資本が必要でしょう。)
建築の「保存・解体」について、特に都市計画家、まちづくりの専門家、建築家、建築評論家、建築系の学会など専門家の間では盛んに事例報告や提言がなされています。しかし、専門家の提言にどれだけ耳を貸す価値があったとしても、その言葉のほとんどは市井の人々まで届いていないように見受けられます。専門家の言葉が市井の人々に伝わり、共有され、風景や建築に対する見識や価値観が醸成されてこそ、市民の総意として「街をどうすべきか」「建物をどうすべきか」という意志を具体的に社会へ反映させることができるのではないかと考えます。
最近では「建築フェス」など、街や建築物を軸に添えたイベントが盛り上がりを見せており、専門家以外の人々も、都市や街、建築の面白さに気がつき、そこを入口として「自分が生活する街」や「自分が住まう建築」について考え直す機会が増えているようです。図らずとも本展覧会「みなさん、ごきげんよう」は、そのような機運と同期した内容となりました。「変わること、変わらないことって何だろう?」「自分にとっての神戸らしさって何だろう?」「こんど地元に帰ったら、あそこに行ってみよう」「いままで見過ごしていた魅力あるモノがまだあるかもしれない」といった、風景や街、建築を見直す視点を参加者のみなさまに提供できた、そういった意味においても、本展覧会・イベントを開催した意義があったのかもしれません。
展覧会・イベントがほぼ終わりかけた頃、そして終わり時間が経った現在も、ずっと頭の中をグルグルと回っている言葉があります。それは「我々は建物を形づくり、その後、建物が我々を形づくる」(*2)という言葉です。モノをつくると同時に、モノを壊さざるをえない立場であるインテリアデザナーのひとり、または生活者のひとりとして、この言葉の意味と重さを感じながら、これからも街や建築物の在り方を模索しつづけたいと思います。
*1
日本真珠会館は、兵庫県が地域産業である真珠産業の取引、加工、輸出業の振興を目的として1952年に建築された。地下1階、地上4階の鉄筋コンクリート造。設計は兵庫県営繕科(光安義光、他)、施工は竹中工務店が担当。以後、兵庫県から日本真珠輸出組合へ移監され現在へ至る。(2023年末に解体撤去。)
*2
「We shape our buildings and afterwards our buildings shape us.」
1943年10月、当時英国首相であったWinston Churchillが英国国会議事堂の建て替え時に語ったとされる言葉。