cello 空間設計

まちのあかり

Lights of my hometown

la pâtisserie:S-ichi / ラ パティスリー エスイチ

業  態
洋菓子店(生菓子+焼き菓子)
所在
滋賀県野洲市
開業時期
2024年9月
受注形態
設計・重点監理

JR山陽本線「野洲(やす)駅」から徒歩7分の場所にある洋菓子店です。付近には市役所や銀行、量販店、コンビニエンスストア等が建ち並び、地元の人々の生活の要所となっています。少し足を延ばせば鈴鹿山系と琵琶湖の間に拡がる広大な田畑を臨むことができる長閑な環境でもあります。京都や大津への移動も容易なこの地域で「都市部へ出なくても自分が住む街にはこの洋菓子店がある」と地元の人々に自負していただけるようなお店の姿を思い描きながらデザインしました。

はじめてテナントを訪れたのはウィークデイのお昼時でした。テナントの調査を一通り終えた後、周辺環境を知るために野洲の街中を巡り歩くことにしました。地域の生活風景の中にデザインのヒントを見つけることができるかもしれないためです。そのような時は、自分がこの地域の生活者になった気分で歩くことを心がけています。
野洲の街中は、クルマと行き交うことは多いのですが、人と行き交うことはあまりありませんでした。その後も数回にわたり現場を訪れましたが、その印象はさほど変わることはありませんでした。人口密度が低い郊外地域では移動手段が車やバスであるため、それは当たり前なことなのかもしれません。しかし、野洲の街が拓かれた往時は、もっと人が行き交う風景が日常的に見られたのではないでしょうか。日本各地で人口が減少し、街の規模や密度が縮退している現在「もっと賑やかな街に!」「活気に満ち溢れた街に!」と身の丈以上の欲望を抱く必要はないと思いますが、それでも、もう少し人の気配が感じられる風景を見ることができれば、野洲の街の人々にとっても、野洲の街を訪れる人々にとっても居心地がよい環境になるのではないかと感じました。
そこで、働く人の姿が街の灯りになるような、、、お店の前を通ると、おいしいケーキをつくるパティシエのひたむきな姿に出会える風景をデザインすることにしました。

街を照らす行燈=ファサード
テナントのファサード上部に、もとは存在しなかった軒を設けました。入口付近の雨よけとしての役割を担うと同時に、のっぺりと平面的ではない立体的で陰影が感じられる形態を考案しました。それによりファサードに陽の光が当たった時、季節や時間の経過とともに陰影が映り変わりファサードの表情が豊かになります。また、軒下の内部に間接照明を仕込み、陽が陰り少し暗くなってきた時間帯に壁面をやわらかい光で照らすように計画しました。ファサード全体がほんのり発光すると街の片隅が少し明るくなり、通勤や通学で家路につく人々の気持をやわらげます。夜間の屋外照明は、視認性を確保するという安全面の機能だけでなく「そこに人の気配を感じる」といった心理的な安心感を抱いてもらう役割もあります。

屋外から見える厨房
ファサードの一部にもともとFIX窓がありました。そこを厨房区画にすることで、屋外から厨房内で働くパティシエの姿を見えるようにしました。パティシエがつくるおいしいお菓子は人を元気づけますが、日々ひたむきに働くパティシエの姿も人を元気にすると考えたからです。あまり人の気配が感じられない場所だからこそ「毎日、健気に働く人の姿がそこにある」場面を見せることで街の風景を彩ることを目指しました。

既設の構造・意匠・設備への対応
テナントが比較的古い建築物内にあったため構造的な改変は行いませんでした。特に、構造柱や梁、筋交、構造壁はそのままを維持しました。ファサード面の壁面にあった既設の出入口やFIX窓などの開口部は、用途的、美的な調整をのぞき、ほぼそのままを使用しました。そうすることで既存の構造的な堅牢状態を維持すると同時に、雨漏り等の不慮の事故を防ぐ意図もあります。
また、以前のテナントが飲食店であったため、給排水・ガス・電気・空調設備等の基本的なインフラ要素は転用可能な範囲で使用しました。それにより建設コストを抑制しました。

普段の生活の中で「人の気配を感じること」や「街の鼓動を感じること」の大切さはあまり意識されないことなのかもしれませんが、人が生活する場所への帰属意識を育む上ではとても大切な要素だと考えています。街にあるたったひとつの小さなお店ではありますが、街に貢献できるコトはたくさんあるはずです。
ご近所のみなさんが、お店の前を通った時に「あ、今日もパティシエさん、がんばってるな…わたしもがんばろう」と自分自身を鼓舞するような気持になり「今度またパティシエさんの顔を見に、ケーキを買いに行こう」と思っていただけるような日常が訪れる日々を楽しみにしています。

la pâtisserie:S-ichi
Google Maps

グラフィックデザイン:株式会社fine 日下れいか
厨房計画:株式会社HIRATA 尾崎誠一・明石武大・澤田真弥
施工・現場監理:有限会社Wwork 渡邉昌敬